甲南学園馬術部の歴史

荒勝学長と創部メンバー
荒勝学長と創部メンバー

甲南学園馬術部の歴史

甲南大学馬術部の歴史は、学生自ら「新しいことに挑戦しよう」と創部したことに始まります。
60年を越える長きにわたり存続できたのは多くの皆さまのご支援のおかげでした。

馬術部の歴史

1952年(昭和27年) 金鈴会乗馬クラブ団体会員として活動開始
1953年(昭和28年) 神戸乗馬倶楽部に移転
1954年(昭和29年) 大学西門横に厩舎完成
1956年(昭和31年) 布引乗馬クラブに移転
1957年(昭和32年) 大学グラウンド東南角に移転
1960年(昭和35年) 御影の木原邸馬場に移転
1968年(昭和43年) 広野グラウンドへ移転
2000年(平成12年) 広野グラウンド厩舎改修
2003年(平成15年) 甲南大学馬術部後援会(仮称)発足、新システム導入へ
2004年(平成16年) 後援会名称を「Konan Equestrian Booster Network」(略称KEBN:ケブン)に変更
2008年(平成20年) 関西学生総合馬術大会で1年生が、総合馬術個人の部で優勝、同大会での大学初優勝であった。
2011年(平成23年) 関西学生総合馬術大会で団体3位入賞
2012年(平成24年) 関西学生総合馬術大会で2年生が、総合馬術個人の部で優勝
2013年(平成25年) 関西学生障害馬術大会で3年生が、総合馬術個人の部で優勝し同大会初の2連覇達成。更に関西学生馬術選手権大会で優勝。全日本大会へ全種目で出場権を獲得し、史上初の快挙を成し遂げた。

創部時代

創部時代

創部時代

「新しいことに挑戦しよう!」・・・そんなフロンティア精神に溢れたメンバーが馬術部を創ったのは、大学創立の翌年、1952年(昭和27年)でした。
まずは西宮北口の「金鈴会乗馬クラブ」団体会員として活動を始め、翌年は「神戸乗馬倶楽部」でお世話になりました。

1954年(昭和29年)には、大学西門横に念願の厩舎を、なんと部員自らの手で建設。
今では手作りの厩舎など考えられませんが、甲南学園の自由闊達な気風ならではの創部エピソードと言えるでしょう。

荒勝学長とともに記念写真を撮影し、学園からも、「馬術部誕生」を祝福いただきました。

その後厩舎は、「布引乗馬クラブ」や学内など、安住の地を求めて転々としました。

しかし、そうした大変な環境の中からも、1956年(昭和31年)の兵庫国体出場をはじめ、東京国体出場および入賞、関西大会六段飛越優勝など、次第に優れた成績が上がりはじめました。

木原邸時代

木原邸時代

木原邸時代

大学グラウンド東南隅の馬場は狭く、練習は困難でした。
亀岡主将時代の1960年(昭和35年)、部員たちの願いが実り、故・木原通夫氏のご厚意によって、御影の「木原邸馬場」に移らせていただきました。

専用馬場での練習は熱気を帯び、木原様と新子晏民様(現 関西学生馬術連盟会長)指導のもと、技術は目に見えて向上。
1965年(昭和40年)には伊藤勝三(現 川西)選手の全日本学生馬術選手権個人優勝や、木原・南海兄弟によるインターハイ優勝など、素晴らしい成績を獲得しました。

なお当時の好成績は、貸与馬で個人技量を競うものがほとんどでした。
馬術の真髄は、自ら調教した乗馬で競うことです。

いつか自馬馬術競技の団体戦で結果をだしたい・・・そうした夢を、部員一同が抱くようになりましたが、そのためにはさらなる環境整備が求められました。

1967年(昭和42年)、集中豪雨が木原邸馬場を襲い、一部崩落の被害が発生しました。

「学園内に専用の馬場を」という気運は一気に高まり、遂に高島氏主将時代、甲蹄会・父母の会の協力を得て、広野グラウンドに厩舎を建設することができました。

広野時代

広野時代

広野時代

1968年(昭和43年)、現在の広野グラウンドに移転し、馬術部はようやく安住の地を得ました。

広野グラウンドでの初代主将田代氏時代は、次世代の自馬馬術競技での活躍を期して一切の試合をあきらめ、馬場の環境整備と新馬の取り揃えに注力しました。

澤井孝夫監督のもと、新馬の鍛錬を開始。
雌伏三年を経て、団体競技出場条件である三頭以上の競技馬を育てあげ、成果が花開きました。

まずは1971年(昭和46年)成瀬氏主将時代に、第6回全関西学生馬術大会男女団体優勝、全日本学生総合馬術大会団体3位。
続く1972年(昭和47年)南海氏主将時代には、関西学生障碍馬術大会団体優勝、全日本学生障碍馬術大会団体3位。

「西に甲南あり」という声が聞こえるほどの華々しい戦績は、後輩たちに夢と希望をもたらし、広野グラウンドでの活動の基礎となりました。

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一方で、大学と広野グラウンドの距離はその後の学生たちにとって大きな負担となり、何度も廃部の危機が訪れました。

しかし歴代の部員たちは不屈の精神をもち、時間をおしまず馬匹管理やアルバイトなどの資金調達につとめました。

困難な環境に立ち向かいつつも、幾度も関西で好成績を残し全日本学生へ挑戦を積み重ねた背景には、高島氏・成瀬氏・南海氏・松本氏・平山氏(現 アジア馬術連盟副会長・日本馬術連盟障害本部審判部長)・森田氏に代表される歴代監督やコーチの献身的な支えがありました。

また、元部員であり、監督もされ多くの後輩を育てられた故・澤井孝夫氏が、1988年(昭和63年)ソウルオリンピック障害飛越競技に出場されたことは、現役生たちの大きな励みとなりました。

故・澤井孝夫氏 1988年(昭和63年)ソウルオリンピック障害飛越競技出場

故・澤井孝夫氏 1988年(昭和63年)ソウルオリンピック障害飛越競技出場

広野から未来へ

1995年(平成7年)1月17日に発生した阪神・淡路大震災により、岡本キャンパスは甚大な被害を受けました。
また、阪神競馬場も改修工事が長期にわたり、部員のアルバイト収入が途絶えるなど、馬術部の存続が危ぶまれました。

2003年(平成15年)には女子部員2名まで減少し、まさに廃部寸前の危機に陥りました。

KEBNを立ち上げた頃の活動風景

KEBNを立ち上げた頃の活動風景

そこで、卒業生有志が中心となり、大学と密接に協議して、馬術愛好家で構成する馬術部後援会(現在のKEBN:ケブン)を立ち上げました。

経済面はKEBNが全面的に支援し、学生アルバイトによる運営費捻出を廃止、部費も廃止するなど、大学馬術部運営としては画期的な支援システムが生まれました。
このシステムの維持には、大学当局への定期的な現状報告や財務管理報告が必須となりました。

施設管理・馬匹管理・安全管理・コンプライアンス管理など、社会人としての基礎形成につながる生きた教材を、学生たちが実践できることになりました。

KEBNの発足以降の馬術部運営は安定し、施設の充実、馬匹レベルの向上、理論的なトレーニングの導入により、着実に戦績を伸ばしています。